2011年12月19日

□100年先を読む



本が好き!の献本です。

最初手に取ってページをめくった瞬間、数字や観念的な言葉が並び、わっ、これはエラい本を選んでしまった!とドン引きしそうでした。

ですが、最初の部分を斜め読みしつつ二九日目の恐怖と言うところに達し、アラル海が灌漑用水の大量摂取でわずか四十年で面積が三分の一に縮小、という部分を読んで、目が覚めました(笑)。

結婚前の親孝行旅行(?)で父とゴルバチョフ政権に代わり立てのソ連邦シルクロード物見遊山で、アラル海のすこぶるワイルドなフェリー乗り場まで行き、ただでシャシリクを振る舞ってくれた彫りの深い兄さんと共に、向こう側の見えない、まさに「海」にふさわしい風景に強い印象を受けた事を思い出しました。

一見難しく思われる本も、早いうちに自分の心に響く部分、とっかかりになる部分を見出すと、のれます!

著者はイケイケドンドンの物質中心主義でやって来て、そのツケが出て来た今になっても、未だに高度経済成長の夢よもう一度論が吹き出て来る事にレッドカードを突きつけています。

その根拠として、数字の羅列や環境変化についての硬い言葉があるのです。

しかし、途中から、例えば「もったいない」は先頃亡くなったノーベル平和賞受賞者のマータイさんが広めてくれる以前から日本にあった、というような話から、カルタゴの滅亡から比較的最近のオリコンチャートの話まで、様々なエピソードも盛り込まれ、なかなか面白いです。

一つとても共感出来たのは、明治以降、再三持ち上がっている英語公用語論や、現在進行中のそれに近い論に対し「多数の日本国民にとって、人生の相当の時間を消費して英語を習得する必要があるかは疑問である。その時間を英語で表現すべき内容を学習することに充当するほうが重要であるし、その期間に喪失するものを確認することのほうが、さらに重要である」と述べておられる部分です。

自分が英語がサバイバルユースオンリーレベル(つまり、英語圏で倒れたとしたら、「み、水をくれ」と言うのがやっと)だから分かるのですが、語学は音楽と同じで、音痴に相当する人間がいて、そういう人は母国語の単言語でいっぱいいっぱいで、バイリンガルだトリリンガルだと頑張ろうとすれば、必ず母国語に悪影響を及ぼすと思うのです。

もし、海外の人と頻繁にやり取りが必要になったら、著者が第二章で引用している低学歴のヘンリー・フォードが不躾な質問に対して、自分で努力するより、著名な学者を利用するに習い、優秀な通訳や翻訳者を雇います(笑)。

他に、顧客本位や切磋琢磨、無私正直、などなど誠実さが基幹となる経営理念を保って来た日本企業は創業二百年以上の企業が世界的に見て飛び抜けて多い、という部分では、少し前に読んだ「偽善エコロジー」の著者の思いと重なる部分があり、印象的でした。

また、著者も含まれる団塊の世代から上の男性の、本音は男尊女卑の言動に常日頃、呆れる事が多いもので、著者が女性の活用が進んでいない事に何回も言及されている事は、大変に失礼ながら、意外でした(あ、でも、これは建て前かも知れませんね(?!))。

割と違和感があったのは、IT化の推進を更にという部分でした。

著者のような優れた頭脳の持ち主ではない凡夫は、いつでもどこでもネットに繋げるとなると、ろくでもない事をしたり、現実の世界の人や事物に目を向けなくなったり、つまりは著者が主張している襲来する情報洪水を制御すべしと逆方向に行ってしまうのではと思います。

しかし、大勢の自制心の無い人間に向けて、権力者側がアクセス制限するのでは、オーウェルの1984年の世界になってしまいますから、頭脳明晰で自制心に富んだ著者のような人たち以外に対する提言も欲しいところでした。

全体としてアメリカ主導のグローバリズム的な方向では無く、自国文化に対する誇りを持つ事が日本の再生をもたらすと説いている本だと思います。

読了して、震災復興、年金一元化や増税、TPPなどなど、もはや先送りが出来なくなっている今、どの道を行くか、誰かにお任せではなく、ひとりひとりが考えないといけない正念場を迎えていると感じました。


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kaikoizumi2005 at 00:46│Comments(0) 携帯からの投稿 | 評論・社会事象評価

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