2010年08月25日

★都と京




   私、自他共に認める京都バカです。特にこの数年、京都に行くのが年に1回では物足らなくなりました。帰って来れば、途端に次の京都行きの構想を練る程で、立派な京都中毒患者かも知れません。

 「負け犬の遠吠え」で一躍都気の人となったエッセイストの著者もまた、京都好きの一人ですが、そこはタダモノではない彼女のこと、鋭い切り口で、明瞭に京都に寄せる地方人(勿論、東京人だって、京都人から見たら、地方の人です)の思いと、それに対する京都の人の思い、というかやり口というか、何と申しますか・・・を描いています。

 京都はテーマパークと同じという論は、私も日ごろからそう思っていたので(しかも、○○ランドやリゾートの類と違って、裏側に回っても、建物のはりぼてっぷりが見えたりしませんし)全く同感です。

 いまや名実共に東京が日本の中心であり、関西で学生していた長男はすごくそれを実感しているらしいですが、それでも、京都は違う。

 何しろ、バッサバッサと痛快な包丁さばきですので、読んだ当座は、大いに頷きつつ、喉元過ぎるともう思い出せない位、するすると読めてしまう(思い出せないのは、あんたの頭が悪いといわれれば、はい、さようで、としか言いようがございませんが)のが難と言えば難ですが、とても面白いたとえとして残ったのは、東女は素直というか、顕示欲ありありの八百屋お七型で後先考えずに今を生きる、耐えない女。一方、京女は自分の死後までものロングスパンで考える耐える女。演じているという事を忘れるほどに徹し切る、で実例として、皇女和宮(いやいや嫁いだはずの徳川家の存続のために働いた)や、何と、倖田來未や杉本彩という、著者によれば二大エロクィーンまでが登場します。

  全体を通して述べられているのは、一見ハードル高そうでも、たかが三代住めば江戸っ子と言われる、地方人の坩堝である東京やら、とってもハードル低く、住んだらその場から浜っこと言われる横浜などと、京都の厚みは全然違うという事であり、直ぐに底が割れてしまうから、東京人を気取るが如く、安易に京都人を気取るなかれ、という事であります。

 私は常々「しばしばイケず呼ばわりされる謀術数に富んだ京都人こそ、外交下手の日本の救い主」と思っておりました(笑)。刹那的、短期的視野ばかりの政治家を選んだ、刹那主義の国民が大概の日本ですが、文化面だけではなく、政治経済の場で、もっと京都的な人材が活躍すべく、国民も京都的な部分を取り入れたらよろしいかと・・・・思いながら京都バカの東女はページを閉じました。

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kaikoizumi2005 at 20:00│Comments(0) 歴史・地域情報 | 随筆

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