佐野洋子

2011年10月02日

★死ぬ気まんまん



一度見たら忘れらんない個性的な画の絵本、100万回生きたねこの作者にして、近年はエッセイストとしても活躍し、昨年亡くなった佐野洋子さんのエッセイと対談による最後の本。

冒頭のエッセイは著者の身辺に現れるウソか本当か分からないような茫洋とした古道具屋や、みんなに引かれる程のちゃっかりした友人、従姉妹などに、今は肥えて見る影もないと言われることも多いながら、彼女はそんな彼も好きというかつてのアイドルや、自分の生い立ちまで、時間軸はあちこちに飛び、脈絡がなさそうでいて、彼女の生きて来た姿勢、好きなモノ、嫌いなモノが描かれていて、100万回生きたねこの威風堂々とした姿と重なってしまいます。続きを読む

kaikoizumi2005 at 10:02|PermalinkComments(0)

2008年12月06日

★シズコさん



 夏頃、母の親友が「いい本ですわ」と言っていたのを思い出す。最初ページを開いて、0代後半に差し掛かった彼女にとって、この本はきつくなかったのかなぁ?と思った。

 個性的なイラストで、ベストセラー絵本「100万回生きたねこ」などの作品を世に出している著者の母との思い出をめぐる随筆で、時間は現在の老いた母と、過去の自分にとっては慕わしい存在ではなかった母との間を行きつ戻りつする。

 母の事を棄てたというフレーズが何回も現れ、母を憎んだとも描かれているのだが、それは強烈な愛情の裏返しと読了すると伝わってくる。

 外面が良いというか、実に有能な女性だった母、シズコさんにとって、唯一気が抜ける、つまりわがまま放題を出せる相手がしっかり者の長女、洋子さんだったのではないか。

 ただし、それは大人の理屈、子どもにとっては通じる話ではないというのは、私もシズコさんチックに長男に接してしまった(今も?)面があるので、洋子さんの屈折した気持ちが分からない訳ではない。

 どんな時にも化粧をして臨むシズコさんの口紅をつける時の口をむすんで「ムッパッ」とするという描写に著者の表現の的確さに小さな感動を覚えた。この言葉には動作がイキイキと目に浮かぶばかりではなく、早くに未亡人となったシズコさんの決意というか、世間という戦場に向かう気構えまで現れているように思う。

 一方でケア付マンションで老いさらばえた母の描写も100歳の祖母を間近に見る身としては全く的確だと感心する。老いてヨレヨレになった母に対して、子どもの頃に突き放されて以来、触れることもできなかった著者は添い寝をしたり、母の元に戻るというか、融合していくようである。

 第二次世界大戦前の富裕な暮らしを「ワルモン」だったという表現にも頷けるものがある。洋子さん自身は子どもで、自らが望んだとか、何ら直接的に旧日本がなした悪に加担したわけではないけれど、それを開き直って仕方ないでしょ!と言い切れない繊細さを感じる。

 シズコさんの一代記であるが、洋子さんという非常に個性的な人の誕生には、愛憎の絡まりが絶大なる影響を与えているのだなぁと、多分、彼女自身も思っているだろうし、読み手も勝手に納得させていただいてしまうのである。

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kaikoizumi2005 at 22:11|PermalinkComments(0)
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