2020年01月18日

ある明治人の記録 改版 会津人柴五郎の遺書




 市民図書で見かけて、いったん手に取った後、やっぱりやめとこと手放した本をお正月明けに借りました。
 
 いったん手に取ったけど、というときは会津訪問前だったかも知れません。

 歴史の歪曲、薩長史観など、もしかしたら、こういう本が出るまで疑問を持たれずに来たのかも知れないし、この本により、維新時の会津がどれだけひどい目に遭わされたかが分かったのかも知れないとも思います。

 今はすでに薩長が、恭順の意を表した会津を、自分らの持っていきどころのないものの始末のために血祭りにあげたというのが広く知られていますが、柴五郎老人は耐えて耐えて、亡くなる直前に若いころの恩人を通して交流があった友人の息子さんである編者に託した文章です。

 若いころの自分のちょっとみっともないところまで包み隠さず書いておられ、なおかつ西郷隆盛が城山でなくなった時には快哉を叫ぶ思い、大久保利通の暗殺もざまぁだったなど、率直な思いは、ひどい目に遭った会津人の本音の一端だったのでしょう。

 それにしても、幼少時は頼りなさそうでいたのに、つてを頼って、陸軍兵学校に進学、国語はむしろ苦手で(だから、ひどい文章でしょと編者に訂正を求めておられる)、仏語など外国語に堪能だったという柴氏。薩長ばかりが出世する中、陸軍で高位につき、特に義和団事件では高く評価される沈着な行動をとられたそうです。

 この辺り、人材不足だったから、元敵方でも採用せざるを得なかったのか、会津の武士のレベルがそれだけ高かったかということなのか(後者のように思いますが)。

 長々書かれてはいないのに、どれだけ過酷な状況だったのか、食い扶持を減らしてしまう自分らは籠城しない、そして辱めは受けまいと、祖母、母、妹まで、柴家の女性は壮烈な自害を遂げ、叔父が火を放った宅から後日骨をあつめるくだり。不毛の地で誇り高い士族が乞食のような生活に追いやられたり、無辜の民衆までが殺戮や強姦の地獄を味わわされて・・・

 そりゃ、百年以上経過しても、長州の市が求めた友好都市提携の話をけっぱぐったのはうなずけます(足を踏まれた側は忘れない)。




 もっとも、この件がきっかけで今は交流が行われているとウィキにはありました。

 私、長州士族の下っ端の地を引いているらしいのですが、断然会津びいきです(なのは、父方から幕府びいきの血も引いているからに違いない)。

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kaikoizumi2005 at 14:55│Comments(0) 自叙伝・人物評伝等 

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