2016年08月23日

八ヶ岳での読書2

 悪天候と食糧備蓄ありと、売るほどある時間のおかげで、オリンピック番組を時々見つつ、この数年忘れていたペースで読書をしています。

 台風襲来の間に読んだのはこちら。




 私から見たら若い著者二人が、東京以外に拠点を持つ、多拠点居住のあれこれを書いています。フルサトとカタカナ文字であるところがミソでしょうか。

 そこに骨をうずめるのか!と覚悟を迫るような移住でもなく、別荘のように地元の人とはあまり交流せずに都会の繁忙を忘れる過ごし方をするのでも、もちろん一過性の観光客でもなく、いざというときに(天災、原発事故など)そこへ行けば、そこそこ食べられる拠点をフルサトとして、ゆるゆると地元の人と交流したり、呼び寄せられた若者同士で交流したりというのを提案しているようです。

 キーワードは金がかからん! 基本、自分たちで!

 地方に行けば、空き家満載で、どうしたもんかと思いつつ、昔からの意識でつてのない赤の他人、ましてや都会もんには貸さない、売らないはよく聞く話ですが、キーパーソンを介して貸してもらい、そこでの活動から信頼を得て、さらに広げるということ。

 そして、物件に手を入れるのは、できるだけ業者任せにせず、自分たちで。これも、義務義務仕事仕事と思うと、辛くなるけれど、レジャー感覚で仲間を募って、一緒に仕上げると、むしろ楽しくさえあるとの事。

 この辺りは、孤独を愛する人だと難しいコミュニケーション力が必要なようです。

 なんだかとても楽しそうです。

 しかし、考えたら・・・形態は別荘とみなされるようですし、外注しまくって金かからんとは行かなかったものの💦、私のやってる事もフルサトつくったってことだよね〜とプチ自己満足です。 友だちもいる、ついでに親戚もいる・・・という訳で、一人になりたいときは一人で、会いたいときは一緒にと、結構いいとこどりしてるかも知れないですね。

 次に読んだのは、若干おどろおどろしいイラストが表紙ですが、NHKという信頼性で書架から出したこちら(報道姿勢に関しては、最近、ダメダメと思ってるNHKですが、ドキュメンタリーやドラマではまだまだ頑張ってるのを感じます)。




 この番組見落としたか、BSで見られなかったかわかりませんが、とにかく見ていないようです(記憶があやふやです)。

 超常現象というと、眉唾、オカルトのイメージが強いですが、科学者たちがさまざまな実験を行って実証しようとしている様子を取材しています。

 かつてありえないと思われ、火刑のリスクもあった地動説だって、のちに検証されたように、超常現象と見える現象ももしかしたら、のちに解明され、それが人類にとって役に立つのではないかと言われれば、なるほどと説得力があります。

 科学者たち自身が、99%は種明かしが出来るという超常現象ですが、どうしてもわからない1%の部分を求めての様々な実験が行われているものの、アウトサイダーな分野だけに、なかなかスムースには進まないというのも描かれています。

 人間の脳は使われていない部分の方が多い、もしかしたらテレパシーのような能力があるのでは?という論には夢がありますね。

 ちなみに夏休み前、映画館で、全く偶然に隣り合わせに仲の良い友人が座っていた(しかも、空席なしで真隣)のにはびっくりで、以心伝心ってあるんだなと思った経験直後に読んだので、なおさら心に響くものがありました。

 科学とはきれいな数式で証明されるんだそうですが、超常現象はいまだに当てはまる数式がないので、証明されていないのだそうです。 いつの日か、何らかの数式が出てくるのでしょうか。

 そして、もう1冊はこちら。市立図書館に予約して待つとなが〜いようで、当時予約数の上限に達していたため、予約し忘れたのですが、八ヶ岳の図書館で借りられました(現在は横浜市立図書館でもすぐに借りられるようです)。

京都
黒川 創
新潮社
2014-10-31



 観光客が喜ぶ、きらびやかな、雅な、わびさびな・・など様々な京都の美しさとは別の面、地元に根差す差別や貧困をも描いた短編で、作品によりオムニバス形式になっています。新聞の書評ではそこまで細かく書かれていなかったような気がして、大好きな京都という地名を冠しているので、読みたかったという単純な動機でしたが、ちょうど、数日前に「被差別のグルメ」を読んだばかりで、これもまたひとつの偶然でしょうか。

 きれいな顔した京都のきれいごとでは覆い隠せない面。これはわが遠縁が書いた「京都ぎらい」でも描いていない土着的な、タブー的な面でして、だから嫌なんだよという気持ちにつながる人もいれば、取り澄ました京都より、人間らしくていいと思う人もいるでしょうね。

 登場する人物は、この数年で見た映画の言葉を借りれば、ドライブイン蒲生で言っていたような「かすけた」人生を送っている人たちばかり。著者の略歴をウィキで見たところ、どうやら、舞台の一か所、吉田の米屋というのは、自身の父上の実家をモデルにしているようです。そして、離婚した夫婦の話の成分率の高さにも、著者自身の人生の反映があるのか、それとも、貧困は離婚をもたらすというところなのでしょうか。 

 具体的地名入りで、知恵袋などで、悪意的にあるいは善意で「あそこは危ない」と書かれている場所なども、土着の人間から見たら、別な面が見えているわけで、人間の多様性を見ないこと、何かを決めつけてしまうことの浅さなども感じました。

 しかし、京都の裏表のきつさも感じます。舞台になった吉田に住んでいたという祖父母と母。祖母と母は表の京都だけに接していたのでしょう。終生、懐かしがり、それで私も京都へあこがれるようになったのですが、愛媛の山村育ちの祖父は恐らく裏面に接したのでしょう。 だから、無縁だった関東ものの父と娘の縁組を半ば強引に進め、関東へ移り住んだのかと・・・もう誰にも確かめようもない我が家の歴史に思いを馳せました。

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kaikoizumi2005 at 12:32│Comments(0)科学や理科系の話 | 歴史・地域情報

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