2006年10月15日

★テヘランでロリータを読む

テヘランでロリータを読む
アーザル・ナフィーシー著 / 市川 恵里訳
白水社 (2006.9)
通常24時間以内に発送します。


 ロリータといえば、ロリコンなどの語源になったナボコフの小説。私はぱらぱらっとしか見たことがないけれど、退廃的なイメージがある。それをイスラム革命後のイランで読むというのは何を意味するか・・・という事で先ずはタイトルが非常に目を引くのだけど、内容は、イスラム革命の下、インテリ女性たちが受けてきた扱い、閉塞感などを描き出している。

 最終的に著者はアメリカに亡命した形となり、9.11以来の反イスラムの機運に乗じた形でベストセラーになったであろう事は想像に難くないけれど、海外で教育を受け、大学で教鞭を取ることを許されたいわばエリートの著者と、男女の席や門を欧米流の目で見ると無意味に訳隔てたりされる中でも大学に学ぶことの出来た女性たちという特権階級の目で見ると、イスラム共和国のしていることは、ロリータの中でナボコフが描いた小娘に対する仕打ちと変わらないのではないかという事になる。

 学生や教授達、かつての女性政治家の中にも投獄、処刑される者が多く、新聞には処刑後のかつての大物の写真が載り、公開処刑が日常時という我々の目から見たら異常な事態なのだが、著者が繰り返して述べるのは「そういう状況を我々は選んだ」という事。まさかこれほどの事態になるとは知らず、革命を支えたという記述にかつての日本の姿、そして今懸念されている姿が重なる。

 文化大革命や戦前の大政翼賛会が多分に持てる層への妬みを含んだものであったようにイランでも強硬かつ保守的な指導者は貧しい層にもてはやされたとの事。格差社会の出現が叫ばれている日本、同じ轍を踏まねば良いが・・・。

 どうしても政治的状況に重点を置いて読んでしまうが(その昔、熱狂的イスラム革命に欧米諸国が驚いたことなども思い出すので、益々)、非情の時にでも人の心の支えになる芸術の力(この本では文学であるが)のすばらしい強さを語っている本でもある。

 この本には若い頃手にした本が何冊か紹介されたのも、親近感を感じつつ読めた理由である。が、当時の呑気一辺倒の学生だった私はここまでの深い読み込みをする必要性も全く感じず、ストーリーを追っただけだった。記憶の中では古めかしいものとしてしまい込んでしまっていたジェーン・オースティンやブロンテ、ヘンリー・ジェームズなど、またいつかページを捲ってみたい気持ちにさせられた。

kaikoizumi2005 at 20:50│Comments(0)TrackBack(0)ノンフィクション | 評論・社会事象評価

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